緑が萌える季節に・・・
2004年6月7日だんなの母が亡くなった。
土曜の午前に亡くなり、急きょ九州に帰省する事に。
子供達は、私の実家へ預ける事にして、その日のうちに実家へ。
私とだんなは、いったん自宅に戻り、だんなはなんやら書類が必要だからと行って会社へ行き、私は荷物作り。
翌朝、九州へ。
「とうとうこの日がきたか」と言うのは長い間、義母は入院していたからね。
何度かは危篤状態があったし、いつ連絡がはいってもおかしくはなかったから。
だんなは、本当にいったて冷静だった。
九州に着くと、だんなの兄弟はもう皆勢揃いしていた。
その夜に、お通夜。
翌朝には、告別式。
義母さんはね、本当に、本当に穏やかな顔していた。
長い間、自力で呼吸も出来ず、管を通され本当に辛かっただろうけど、そんな事を思わせないように、永眠していた。
良いお葬式だったよ
私も父を送り出したけど、父のようには重々しくなく
それは、やっぱり辛い入院生活をお疲れさまと、やっと楽になったねと言う想いは皆同じだったんだろうな
不思議とね、私は父の弱って行く姿を見てるほうが辛かったかな。
だから、だんなや周りのみんなもそうなんだろ思う。
本当に良いお葬式だっただけに、やっぱり我が子供達を連れて行かなくってよかったとつくづく思った。
きっとつれて行ってれば、ぶち壊していたに違いない。
最後のお別れをさせてあげたいとは思ったけど、だんなは「今回は置いて行こう」と言うし、
向こうに居ただんなの兄弟や親戚に「子供はどうした?」と聞かれ「実家へ預けて来た」と言えば
「そう」と言って誰一人「連れてくれば良かったのに」とは言わなかったしね。
それは旅費がかかる事と、そんなに情が無いからと言うことだろうかな?お互いね。
でも、その選択は正しかったはず。
だんなの泣く姿は見えなかった。
と言うか、号泣するほど泣いてる人なんか居なかった。
私の母は、亡くなった事を聞くと泣き声で「少しでも長く生きられたら」と言っていたが・・
申し訳ないことだけど、みんなは「やれやれ・・・」と言う気持ちの方が大きいだろう
土曜の午前に亡くなり、急きょ九州に帰省する事に。
子供達は、私の実家へ預ける事にして、その日のうちに実家へ。
私とだんなは、いったん自宅に戻り、だんなはなんやら書類が必要だからと行って会社へ行き、私は荷物作り。
翌朝、九州へ。
「とうとうこの日がきたか」と言うのは長い間、義母は入院していたからね。
何度かは危篤状態があったし、いつ連絡がはいってもおかしくはなかったから。
だんなは、本当にいったて冷静だった。
九州に着くと、だんなの兄弟はもう皆勢揃いしていた。
その夜に、お通夜。
翌朝には、告別式。
義母さんはね、本当に、本当に穏やかな顔していた。
長い間、自力で呼吸も出来ず、管を通され本当に辛かっただろうけど、そんな事を思わせないように、永眠していた。
良いお葬式だったよ
私も父を送り出したけど、父のようには重々しくなく
それは、やっぱり辛い入院生活をお疲れさまと、やっと楽になったねと言う想いは皆同じだったんだろうな
不思議とね、私は父の弱って行く姿を見てるほうが辛かったかな。
だから、だんなや周りのみんなもそうなんだろ思う。
本当に良いお葬式だっただけに、やっぱり我が子供達を連れて行かなくってよかったとつくづく思った。
きっとつれて行ってれば、ぶち壊していたに違いない。
最後のお別れをさせてあげたいとは思ったけど、だんなは「今回は置いて行こう」と言うし、
向こうに居ただんなの兄弟や親戚に「子供はどうした?」と聞かれ「実家へ預けて来た」と言えば
「そう」と言って誰一人「連れてくれば良かったのに」とは言わなかったしね。
それは旅費がかかる事と、そんなに情が無いからと言うことだろうかな?お互いね。
でも、その選択は正しかったはず。
だんなの泣く姿は見えなかった。
と言うか、号泣するほど泣いてる人なんか居なかった。
私の母は、亡くなった事を聞くと泣き声で「少しでも長く生きられたら」と言っていたが・・
申し訳ないことだけど、みんなは「やれやれ・・・」と言う気持ちの方が大きいだろう
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