今回、ほんまつくづくそう思ったわけで。

義母は熱心にお寺に通い、傍から見れは「そこまでも」と思うぐらい、時間もお金も費やしていた。
それは、自分のためでもあるけど、でも義母の5人の子供達とその孫の為でもあるのね。

子供達が幸せになる為に

私の母もある宗教家でね
それは、自分自身のためではなく、子供や孫に不幸ごとが無いように・・と言う思いなのよね。

もう、ほんまにここでも何度でも言ってる話だけど・・・
母のただの自己満足に過ぎないのよね。

あぁ〜宗教の話しはこの辺りで辞めときまひょ

で、義母なんだけど、そのお寺を建て替える時に、どれだけかはわかんないけど、莫大な金額を費やしたらしい。
そこのお寺ね、普通のお寺みたいに古びたしい感じではなくてね
もう、うさんくさい宗教団体のような感じなの。
あれは、もうお寺と言うイメージとちゃうね。

だから、お寺としてはありがたき人だったのよ
義母の人脈もあるのだろうけど、でも普段はお寺では葬儀を頼まれてもお断りするらしいのだけど、快く受けて下さったらしい。

戒名もね、りっぱなのをつけて下さった

らしい

その、らしいというのは、私にはその価値がわからん

なんでも、普通なら百万単位でいるところをただでつけてくださったそうで。
でも、だんな曰く
「それ以上、何倍もここ(お寺)には費やしてる」と。
だんなの兄弟もね、りっぱな戒名つけてもらったのに、全然嬉しそうではなかったしね。

それはね・・・

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